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緒形拳

 投稿者:偏酎  投稿日:2008年10月 8日(水)11時49分45秒
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  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E5%BD%A2%E6%8B%B3


芸名の「緒形拳」は劇作家・北条秀司の夫人によってつけられたもので、元々は「おがた こぶし」という読みであった。

芸名の候補として「緒形 寅蔵(おがた とらぞう)」、「緒形 掌(おがた てのひら)」、「緒形 握り拳(おがた にぎりこぶし)」などの案が上がったという。「お前の特徴は何だ」と聞かれて、とっさに「うーん、手かなあ」と答えたことから手に関連するあらゆる単語が(現実的でないものも含めて)連想的に挙がったという。最終的に「緒形 拳(おがた こぶし)」と決めたが周囲の誰からも「こぶし」と読まれず、「ケンさん、ケンさん」と呼ばれ続けた為に意に反してそちらが定着してしまったという逸話がテレビ番組『トリビアの泉』で明かされた(2006年3月1日放送)。バラエティ番組への出演は断り続けてきた緒形だったが、同番組のファンだということで「『トリビアの泉』だったらいいよ」と快諾したという。このエピソードは『徹子の部屋』にゲスト出演した際も話している。この時「自分の中では拳(けん)ではなく、今も緒形 拳(こぶし)なんです」と語っていた。

1957年、東京都立竹早高等学校卒業後、憧れていた新国劇の辰巳柳太郎の弟子になるべく1958年に新国劇に入団し、辰巳の付き人になる。下積みの彼の才能を評価し抜擢してくれたのは師匠の辰巳ではなく、新国劇のもうひとりの雄島田正吾であった。

1960年、『遠い一つの道』でボクサー役に抜擢され映画化された作品では島田と競演し映画デビューを果たす。

1965年、NHK大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、お茶の間の人気を独占する。この間も新国劇を休むことは許されなかった。

1966年、NHK大河ドラマ『源義経』の弁慶役を演じる。新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。1968年、新国劇を退団しフリーになる。テレビに映画にと精力的に出演し、テレビでは『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安役で好評を博する。

1978年、野村芳太郎監督作品『鬼畜』に出演。その演技は秀逸でその年の男優賞を総なめにする。その後も1979年に『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、1983年に『楢山節考』(今村昌平監督)に出演し高い評価を得る。また1999年、池端俊策監督の『あつもの』で「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受ける。

2000年、紫綬褒章受章。

2008年10月5日午後11時53分、獨協医大病院にて、肝癌による肝臓からの出血により死去した。緒形拳の最期は家族と長年の友人であった津川雅彦が看取った[1]。71歳没。戒名は天照院普遍日拳居士。
生前最後の出演の作品は『風のガーデン』(フジテレビ系列テレビドラマ)となった。9月30日には作品の制作発表にも出席していた。また、最後の出演CMとなったエプソンは10月1日から数日流れたのみで終わった。

子息の緒形幹太・直人兄弟によると、緒形拳は1999年頃から肝臓ガンを患い、手術を受けずに投薬治療を受けながら俳優活動を続けていた。また2007年暮れには腰椎圧迫骨折の大怪我を負っていたことなどが明かされた。

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※ 緒形拳の本当の芸名は「おがたこぶし」だった。生まれたのは、盧溝橋事件で日中戦争が始まった1937年だった。

http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/02/2/19.html
 
 
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